思惟さまざま

宇久村宏(哲学・藤枝市在住・山村浩=本名)の思考の記録帳です

思考のメモ(2024/05/03)

 主観と客観の対立関係の解消は、主観の個別性が瓦解し、客観と神秘的に融合することで実現されるだけではない。主観そのものに含まれる他者性の形式を、外的対象に拡張することによっても、主客の対立は解消されうる。だがこれは、芸術体験においては常凡の出来事であろう。

 

 感情は主観の状態であるとともにその他者である。「私は悲しい」と言うこともできるし、「私は悲しみを抱いている」とも言える。それではたとえば「モーツァルトの音楽が悲しい」とは、いかなる事態をさしているのだろうか。この場合「悲しみ」は、私の個人的感想のたぐいではない。それは楽曲に内在する客観的な何かである。しかし私は、それを私自身の悲しみであるかのように体験している。

 

 身体の内的存在感覚においては、主観と客観が未分化なだけでなく、自由と因果性もまた未分化な状態にある。